suginachaの日記

自律神経が乱れやすい体質に生まれた私の記録

階段から突き落とされた

昼休み。

5年生の頃、6年生男子が声をかけてきた。

「ちょっとこっちにきてくれない?」

何事かと思った。

呼ばれるままに近づく。

「ちょっと、ここみてよー」っていわれた。

私「どこー?」

男子「ここ、ここー」

って階段の方を指差す。

のぞき込もうと思ったら、急に背中をドン!っとおされて、一番上から下までゴロゴロゴロゴロ・・・と落ちた。

体中が痛くて、*1ううう・・・・ってなりながら上を見ると、笑ってどこかに消えていった。

木の階段だったのが、良かったのかな。

子供だし、体が柔らかかったのも助かった。

古い校舎で、ほとんど人が通らない階段だった。

体中の痛みを我慢して、教室に帰った。

 

*1:+_+

冤罪

5年生の頃、新しい先生がきました。

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こんな感じのバーコードハゲ

多分、若かったのかな・・・

ある日、みんなが先生に文句を言ってた。

あたしの横で、女子が「ハゲ~」っていったの。

そしたら急にすごい剣幕で、あたしの長い髪の毛を握り振り回した。

ブチブチとすごい音がして、あたしはビックリしたのとショックで大泣きした。

保健室に逃げていったんです。

泣きながら私は、説明した。

あとから、追いかけてきた担任は、「嘘を付くな!!お前は俺に、ハゲといっただろう!!」って。

あたしは何もいっていない。

あたしの横にいた女子が「ハゲ~」っていったのに。

その女子のこと、今も覚えてる。

どうして私は、こんなつらい思いしなきゃいけないんだろう・・・

給食が食べられない

家も学校も居心地が悪い日々。

昭和の時代は、引きずってでも学校へ連れて行く時代でした。

私は給食が喉を通らなくなります。

牛乳だけ飲み、学校生活を過ごしていました。

そんな異常な毎日なのに、私の親は助けてくれません。

どれぐらい、そんな日々が続いたのか覚えていませんが・・・

離婚して、母も大変だったのかな。

 

勉強机が家になかったので、祖父母が小さなテーブルを用意してくれたのですが、テーブルの裏に鉛筆で、バカ、アホなど心の叫びをグチャグチャになぐり書きしていて、母と祖母に怒られた記憶があります。

 

耳が聞こえにくい

教室に金魚がいました。

空気が出る音が、ブゥーンといつもなっていたんです。

なにかの拍子に、そのブゥーンという音が聞こえないことに気づきます。

耳を押さえたり、あくびをしたりすると聞こえるようになるのですが、少し立つとまた、ブゥーンという音が聞こえません。

耳鼻科に行きたいと、親に言いましたが仕事で忙しく、1人で何ヶ所か期間を開けてまわりましたが、なおりませんでした。

そのうち、友達の言葉もよく聞き逃しトラブルになることもありました。

今考えれば、これはストレスのせいだったのではないか。と思っています。

 

転校

3年生の秋。

転校しました。

今までの学校は私服で、4クラスありました。

新しい学校は、制服があり、1クラスしかありません。

なにもかもが、新鮮でウキウキしていました。

最初はみんな珍しがってよってきてくれました。

そんなあたたかい時間は、すぐになくなります。

理科の実験で、屋上へ行って実験をするとき、みんな自分の実験道具をもらっていたのですが、私は途中参加でその道具がなく、先生が

「休んでいる人がいるから、その子の道具を借りてやればいいよ。」

と、かしてくれたんです。

そしたら、次々とブーイング。

「〇〇くんのなのに、使うなよ!」と何人もの人が意地悪をいってきます。

女の子たちも、にらんでいます。

(なんでこんな思いをしなきゃいけないんだろう・・・)

(私、悪いことしてないのに・・・)

ウキウキしていた気持ちが、一気に消えました。

 

いつもひとり

私は給食が苦手でした。

食べるのも遅くて、5時間目がはじまっても食べているような子でした。

先生はすごい剣幕で怒ります。

昭和の時代なので、先生が暴言、暴力をふるうのは当たり前でした。

それでも毎日がんばって、学校に行ってたのになぜか、いつもひとり、浮いている子供でした。友達がうまくできませんでした。

登下校は、ほとんど1人。

つまらない学校生活。

そんなとき、転校の話が出ます。

小学3年生のとき、運動会後転校することになりました。

両親の離婚。

祖父母たちと、生活することになったのです。

そこからわたしは、体調を崩していくのです。

はじめまして(自己紹介)

はじめまして スギナ茶です。

私は自律神経が乱れやすい体質です。

それに気づいたのは最近。

過去を振り返ると、小学生の頃からそうであったと感じています。

小学生から結婚し3人目の出産まで、だましだましなんとか毎日を送っていました。

3人目を出産して、2年後。

母乳育児だったので、断乳も落ち着き、久しぶりに1人でお出かけに行きました。

その出先で急に体調が悪くなり、立っていられなくなりしゃがみこんでしまったら、手足が硬直して動かなくなり 過呼吸をおこし、意識ははっきりしている状態になり救急車で運ばれ、病院で2-3時間点滴を受けて落ち着き帰宅。

数日後、いつものように洗濯をしようと洗濯機の前にたった瞬間、今までに体験したことがないほどのめまい。 心臓が飛び出そうなほどの激しい鼓動、死の恐怖ほどの不安感。気持ちは子供に戻りオロオロ。 「誰か助けて」という気持ちで一杯になりました。

母のすすめで心療内科へ行くことにしたのですが、1人でいけません。

子供のようになってしまい、1人でどこかへ行くことが怖くてできなくなりました。

そんなこんなで、10年。

パニック障害、うつ、の治療中。

2015年別居。

2020年から更年期突入。

自律神経の乱れからきている、体調不良の愚痴や記録です。

この気持を共有できたら、うれしいです。